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Boeing 737-800に乗りたいP訓練生のブログ

現在ニュージーランドでパイロットの訓練をする若者のブログ

スタンダード

少しメモがてら。

 

 

 

------以下余談-----

日本語で「スタンダード」といえば、何か普遍的で一般的な基準のように思われている。女子高生のスタンダードは...とかいうと、あれ?女子高生たちの結構な割合(マジョリティ)の人たちがしている/もっていること? みたいに思われがち。

 

英語だと、低い高いを問わず、「基準」ということ。

This University requires a high standard to senior high school students who wish to enter at The Centre Exam. とかだと、この大学は高校生に高いレベルを持っていることを求めてるよ。っていうこと。高いっていうレベルにおいて、線を引き、それが「基準」となって高いから入れるよ/低いから入れないよ を区別する。的なニュアンス。

 

日本語はこういう「日本語の中で使われたらニュアンスA」だけど「英語の中で使われる場合は、ニュアンスB」になる。ただし「ネイティブにはニュアンスAは伝わらない」ということはよくある。多分、英語を知っている人が使った言葉を、英語をよく知らない人へ、英語をほぼ知らない人たちへ、伝染していき、違うニュアンスで理解される、がために起こるようなことなんだと思う。日本人の英語の出来なさを象徴しているようだけど。

 

-------余談終了--------

 

話の主旨は、成功する人について。成功っていうか、物事をうまく運べるんだろうなっておもう人について。

 

自分の短い人生のなかで、数少ない経験をしてきた。楽器とか、ちょっとだけ、仕事とか、語学とか、勉強とか。いずれにしても、「やれば終了」ということはなかった。例えば、パズルの最後の1つのピースが残っていて、それをハメる・ハメないで物事が終了するか否かっていう単純だっていうことで。物事はそれだけ単純じゃなくて、「どれだけの精度か」とか「どれだけの完成度か」など、「どれだけ○○か」を求められることが多かった気がする。それだけパズルのように2択じゃないということ。

 

で、その「どれだけ○○か」を求められた時に、成功する人とはなんぞや。と思った時に、「スタンダード」なんじゃないかと思った。例えたら、まっさらで英語の分からない日本人の日本語話者2人がいて、どっちが先に、ネイティブレベルまで達することができるか。という議論。先に目標まで達することができるのは、「気持ち・モチベーション・考え方のスタンダードが高い方」だと思った。

 

何故そう思ったかを考えてみると、「気持ちのスタンダード」が高ければ、それだけ多く学ぼうとか、得よう、吸収しよう、高めよう、反省しよう、とかいろんな考え方が生み出され、行動に移せるから。自分の考えが高い位置にあればあるほど、いかに自分がダメであるかに気づき、それを次に活かそうとか、改善点に多く気づき、行動し、よりその高い位置にあるゴールに到達しようと思えるはず。

 

普段から高級フレンチの味に親しんでいて、それがスタンダードだったとき、自分でも料理をつくる。でもその高級フレンチの味は出せなかった。とすると、何故その味が出せないのか、という発想に至る。はず。

 

逆に、飯は食えたらそれで良いという(自分からすればありえないけど。)発想の人が、自分で料理をつくったときに、そもそも味がどうであるか、良い/悪いの議論にはならない。なぜなら飯に味は求めないから。...となる。

 

同じフィールドで、成功する人たちって、きっとこういうスタンダードが自然に高いんだろうなと思う。舞台役者であったり、声優であったり、アクター、全ての職種において。きっと同じフィールドにいても「ああ、こいつはやっぱ違うわ」って思っている存在がいたら、多分もう自分とは考え方が根本的に違うか、あり得ない程高いんだと思う。

 

これの上げ下げは環境であったり、教育のされ方だったり、自分自身にあったり、いろいろで違ってくると思うけど、スキルやら「どんだけ○○か」を求められる世界(世の中ほぼそうだとおもうけど)では非常に大切なことになってくると思う。

 

自分も最初に入った職場がキツすぎて嫌になるほどだったけど、あそこで学んだことは後の職場でも生きたし、とにかく必死だった。でも、後に入ってきた外国人はあんまりそういうがむしゃらにやるとか、懸命にやるとか、考えていなかった。考え方自体も違ったのかもしれないし、仕事は楽であるべきだとさえ考えていたかもしれない。受動的であれば良いと思ってたかもしれない。

 

自分にとっての高かったなぁ...と思うスタンダードは英語で、英語のことはとにかくがむしゃらにやっていた...んだと思う。高すぎてがむしゃらにやっていたと言われても実感が持てない程だった。目標の為にとにかく懸命で、その為にある小さな目標を1つ1つ、毎日こなすことに精を出してた。今でも「なんでそんな英語できるの」っていう質問の回答にこまる。別にがむしゃらにやっていたと痛感するほどやっていたとは思わないし、楽しみだったし、やるべきものだという認識でいたから、「さぁ」と思う。答えないといけない時になるとでっち上げるけど。(笑) でも自分よりできる人たちなんでいくらでもいるし、彼らに比べたらまだまだ意識甘かったなぁ。と思う次第であります。

 

高い意識が持てるようになることは、高いレベルを必要とする物事への資質かもしれない。

 

おわり。