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Boeing 737-800に乗りたいP訓練生のブログ

現在ニュージーランドでパイロットの訓練をする若者のブログ

意味のあること

こいつ、我がつぇな。と思われているかもしれない。

「意味のあること」を追求する話。

 

 

自分は、「意味のないこと」が嫌いだ。

ある種のプライドかもしれない...が。

 

今まで2つしてきたアルバイトのうち1つの話だ。

1つ目は、自分が「お茶」というものがとてつもなく好きで、最初は短期のイベントのスタッフから始め、そして契約社員になりたい的なことを人事に言うと「いいよ」と言われ、ある種、キャリアをスタートした。もしあそこで本気で追求したいと思っていたらたぶん今もやっていた。が、当時から自分の目標はパイロットとしてキャリアをスタートさせることだったので、今は退職している。退職理由もパイロットになるための就活だった。

 

よく、アルバイトならなんでもいいじゃん。アルバイトに意味なんか求めるなよ、と言われる。だが自分は違った。もし「意味も求めない」で「金を稼ぐ」なら、別に自分という人間がそこに当てはまる必要はないし、たかだか「金」(馬鹿にしてないけども)のために、自分の時間を犠牲にして、そのくっだらねぇ「金」って回収する意味があるか?と思った。仕事をする以上、もっと「仕事」を人生の有意義なものにできないのか?と思った。

 

自分は単に、そういうしょーもない人間なのである。人は色々。仕事はしゃーなしでやってる人もいる。でもその仕事で得た金で、プライベートを充実させる人もいる。要は考え方の違いだ。ただ自分は時間は大切なものだと思ったし、戻ってこないものだということを知ってるし、何より仕事という時間を過ごして「楽しい」とか「ハッピー」とか、ポジティブな感情を得られるということを知った。だったら、その「楽しさ」「ハッピーさ」を犠牲にして、「退屈だ」「暇だ」「やりたくねえ」というネガティブな感情にひたる意味ってあるのか?と思った時の答えが「No」だった。だから、仕事にある種の意味というか「求めるべきもの」を求める。

 

先に述べた「お茶」の話であれば、自分はお茶がとてつもなく好きだったので、お茶という好きなものに囲まれてる環境は、ある種、「幸せ」を満たしてるんじゃないかと思った。やはり、実際働いてみて想像とのギャップを比べると、高いお茶も飲めるし、旬のお茶も飲めるし、廃棄すべきお茶は飲んでも構わないし、幸せだった。幸せ以上に、大変だということも別の側面からあった..が。それが自分の求めた「幸せ」だった。

 

同じモノを売るにしても、服にまったく興味がないし、興味がないということは意欲も湧かない。言ってみれば「イヤイヤ」物事をしなければいけない。だとしたらそれは自分にとって有意義かと言われたら「No」なのだが。

 

 

よくアルバイトって言うと、居酒屋とか、ティッシュ配りとか、いろんなアルバイトがあると思う。(少なくとも自分は。) ...ちなみに世の中には医師免許を持ってなければいけないアルバイトもある。(よく医師になりたての研修医なんかが夜勤をやったりするアレ。)

 

でも、もしパッと働くテイを想像してみたときに、そこにある楽しさってなんだ。と思ったら自分には思い当たらなくて、「求めるものはそこにはない」と思い、選んだことはない。もしそう感じてなくて、イヤイヤ働く自分が居るよりも、もっと使える優秀な人間が同じ時給で働くべきだし、イヤイヤ物事やるメリットも自分にとってもない。と思った。

 

 

そういう絵面、文字面だけで「求めるものがあるかないか」と見定めてる時点で自分の可能性を閉ざしている、と言われかねないし、その批判は至極真っ当であると思う。あえてそれを「しない」理由を言うならば、自分にその生き方はできないからだ。何故なら、自分は「ダメだろう」と見定めた時点で基本的に物事を見直さないからだ。「これはもう少ししたら良くなる」とか、「これはやってみたら案外おもしろいかも」といった可能性に「賭ける」といったことだ。

 

 

友人には就活のときによく言われた。

「やってみればいいじゃない」「可能性がまだそこにあるかもしれないよ!」とか。

 

「良いもの持ってるのにもったいない。」とか。

 

頑固なんだろうなと思います。

 

 

おわり。