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Boeing 737-800に乗りたいP訓練生のブログ

現在ニュージーランドでパイロットの訓練をする若者のブログ

勘違い

人は、わりと初対面での印象が良かったら仲が良くなれるような錯覚に陥ってしまうけど、それは違う話。

 

 自分は、誰かと会った時に、ものすごく話をしっかりしたい。その人のバックグラウンドを聞いたり、その人がどういう人か知って、自分と合うとか合わないとか見極めたいし、それで感触が良ければずーっと付き合いを続けていきたいと思う。

 

ただ、話のネタとか、興味の範囲とかが大きく被ってて...例えば、自分なら航空であったり、お茶であったり...というときに、やっぱり話は何も被っていない人よりかは大きく広がる。

 

気をつけたいのは、興味が一緒でした。大きく話が広がりました。話をするときの感触がとても良かった。と思っても、別にそれは「仲が良い」ということではないということ。自分もよくやる。やらかしてしまう。そういう風に、雰囲気良く、そしてテンポも良く、良い感じで話とかコミュニケーションで和が生まれるものだから、あたかもそれが「仲良い」と錯覚して要因になってしまう。

 

本当に「仲が良い」と思えるのは、阿吽の呼吸で物事やっていけるとか、数年連絡とってなくても昨日会ったかのように遊べるとか、会いたくなるとか、一緒にお酒を飲んだり、ご飯を共にしたくなるような人間と居る時のこと...。

 

今一緒に住んでいる「同居人」とはまさにそのパターンで、話すネタ、範囲はかぶっていて、それがゆえに「こいつとはある程度よくやっていけるのでは」と思い始めていたが、それ以外の人間性の部分で「これってどうなの」と思うことが最近多々発生し始めている。そもそも家の部屋を借りるシステムがフラットであって、フラットはオーナーがいて成り立つ。そのうちのオーナーは日本人で、まぁ、常識程度に設置されている”ルール”があって、それさえも守れないとか、自分で不平不満を言うくせに、その種は自分で作り出しているとか...。その人間性のダメ部分が多く見られて、やや辟易しはじめている自分がいる。

 

それがあってはじめて、自分の中に「仲が良いってどういうこっちゃ」と整理しはじめると、仲が良いと、良い雰囲気である、は完全に別物。似てるけど、違う。そういうものだということがわかった。雰囲気をともに良く出来るから、相性が良いわけではないし、そういう風にできるから、人間的に尊重できるわけでもない。

 

もし「彼」と仲が良いと認識できるようになるには、とりあえずこの問題たちが片付かないことにはどうしようもないなぁ。と思う。仲が良いとか、人と良い関係を作れる、というのは並大抵に出来ることではないのだと改めて思った。

 

 

おわり。