Boeing 737-800に乗りたいP訓練生のブログ

現在ニュージーランドでパイロットの訓練をする若者のブログ

外国人の強さ

外国人ってつえぇなーって思った話。

 もう1年半くらい海外にいて、外国人...色々な国籍の方がいますが、彼らと接していて思ったことをつらつら。

 

1つは、あの人達はめちゃくちゃダメージを受けにくいというか、何か失敗とかミスがあったときに、かなりポジティブに受け取る。どうしてそれが悪かったのか、なぜそれを起こしたのか、どうしたら次に活かせるのか、をすごく積極的に考えている気がする。

 

だからミスをしても、それ自体の責任というか、起こってしまったことの重さ自体をあまり感じていない...ように受け取ることができる。日本ではあまり良い「受け取り方」とはされないかもしれないけど、「起こってしまったことは変えられない」という言葉を貫いているというか、もともとそういう思考をしているような気がする。そこが外国人の考え方の良さだと思った。

 

一方、日本は「起こってしまったこと」そのものに焦点を当てて、「いかにそれが悪かったか」「どう影響を及ぼしたか」をいつまで〜〜も暇なのかと問いたくなるほど考えている気がする。謹慎とかそういう部分の1つだと思う。めちゃくちゃ時間が勿体無い。宗教の説法でも説いてるんですかと言いたくなるほど非効率で無駄な気がする。そんなことをして果たして意味があるのだろうかと思う。どうせ起こってしまった過去は変えられないんだから。

 

次に、やっぱり英語力は持ってきてるよなぁ、と思ったところ。

今住んでいるニュージーランドはご存知、英語圏の1つなんだけれども、非英語圏出身の人間でさえも、それなりに英語力を持ってきてる。点数がどーのこーの、このテストに合格したどーのこーの、ではなくて、普通に"海外の学校"で生き抜くための英語力を持ってきてる。そして、ICAOのEnglish Proficiency Testにも問題なく受かる。めちゃくちゃ躓いている人はむしろ少数派。英語で躓いているのは日本人くらい...という。何とも情けない話。自分は1度ICAOの英語では落ち、別にジョークを話すほど英語は話せない。けれども、ある程度英語、使ってきたしいけるんじゃね?と思ってたけど井の中の蛙だった。あいつらは次元が違うとまではいかんでも、やっぱりインター系の学校に行ってたり、語学を習得する学校に行ってたりと、普通にやってた。自分みたいのは少数派だった。

 

日本の大学のなかではある程度喋る方だった、ように思うものの、それは比較対象が周りの「喋られない日本人たち」だった。パイロットに関して言えば、コミュニケーションっていう意味でも然り、給料面でも然り、働きたいという願望さえあれば海外に出ることができるのに、"英語ができないから"と理由をつけて日本に留まる。そんな滑稽な話あるか。と思った次第。人によるんだけどさ。

 

国中ベトナム語しか喋らないベトナム人でさえも、英語はしっかり話せるようです。あとヨーロッパ系は例外なくしっかりした英語力持ってきてて怖いなぁと思う次第です。アクセント強いんだけれども。

 

3つ目に、物事を端的に見る力がめちゃくちゃ強いように思う。

特にこれは西洋人の方が傾向としては強いかもしれない。英語でessayとか書くと、その並び方の通り、英語では「言うべきことを最初に」言う。日本語みたいに「本日は、雨のため、A路線、ならびにB路線を経由し終着C駅まで行く快速電車と普通電車に遅れが出てきており〜〜〜」

 

で、言いたいことはなんだよ!

 

となることはないように、言うべきことを最初に言うその文化というか言語の特性上、きっとあいつらも「キモが何なのか」をつかむのがめちゃくちゃ上手い、ように思える。だからテストの点数もめちゃくちゃ取ってくるように思う。

 

もちろんある程度暗記すべきところもあるけれども、問われてることに対してそこの「キモ」がなんなのかをハッキリと理解してるから、テストとか知識問題ではあんまり困らない。

 

自分は小中とあまり勉強してこなかったからどんな風に勉強していたのかあまり記憶にない。好きなことはめちゃくちゃ出来るタイプの人間だったから、知らずのうちに吸収する化け物体質...と呼ばれていたような。出来ないことはからっきし、ってタイプでしたが。もともとそういう気質があれば、もーっと物事スムーズに行っていた気がする。

 

これで得するのは、無駄な議論を省ける点と、欲しいこと・たどり着きたい場所にどうしたらたどり着けるのか、がめちゃくちゃわかりやすいこと。回り道をしなくて良いから。...という点で、議論好きとか話し好きっていうところを見ると、やっぱり思考力はあるんじゃないかな、と思う。テスト後に「あの問題のこの部分さ〜こういう風に考えたからこういう結果が出たんだけど、どう思う?」という風に聞いてくる。なかなかおもしろい。

 

日本は自分の考えを抜きにして、感情と気持ちだけで物事論ずる人が多い気がする。西洋に慣れてしまうと、なんだかそういう「腑抜け議論」がすごく無駄で意味のないことだと思わされる。

 

 

で、関連して。最後に

効率化がめちゃくちゃ上手い気がする。

 

ヘタに言えば、何も考えてない。上手く言えば、やらなくても良いことを省いている。彼らは基本的に「何をやるべきか」「何をやらないべきか」をかなり正確に把握していると思う。日本から見たら、まぁ「だらしない」とか「手抜きすぎ」とか言われるのかな。

 

教官の仕事ぶりとか見ていても、「ああ、それは俺の管轄じゃないから」「俺ができる範疇のことじゃないから」「この人にきいてみて」と言う傾向が強い。ただ、自分の学生だったり、自分の範疇のことはしっかりやる。日本人は何でもやり過ぎっていうか、頑張りすぎっていうか。もうちょっと「NO」が言えた方が良いなと思うし、今最速でやるべきことは何なのか、っていうのを見直した方が良い気がする。

 

ま、面倒くさがりだなぁこいつら。とも取られるのかもしれないけど。でも最低限しかやらないってのは自分は疲れないし、必要ならそのほかの人がやるわけだし。(そのための人が居るはずだし。)

 

 

NZの人間然り、海外色豊かな学校なので、他の国籍の人間も、それぞれの強さを持って生きているなぁと思っております。「まぁどうせ一生日本に居るから関係ねーし」と言う人もいるだろうし、そういう人はそれで良いんだろうけど。給料が年間500万違ってもそんなこと言っていられるでしょうか?

 

...と思う視点で、日本はもう少し、インターに目を向けていっても良いんじゃないかと思います。まだ鎖国気味の国だよなぁと思う次第です。

 

おわり。