空をとびたいP訓練生のブログ

現在ニュージーランドでパイロットの訓練をする若者のブログ

アイディアの整理3 / 人間関係

今日の反省は、人間関係かなーと思うのです。

 人間は3つのことに亀裂が入ったときに気が滅入ると言う。

1, 健康

2, 金

3, 人間関係

 

人間関係は誰にとっても難しい問題のように思える。

私がNZの訓練中に抱えていた人間関係の悩み、問題とはなんだったかを少し書いていきたい。

 

そもそもこのネタを書こうと思ったのは、Twitterで、某航空会社の自社養成の試験内容を号外かのごとく、言いふらしているアカウントを見つけた。その人の信条としては、「パイロットである者は自分のことであるかのように他人を尊重しろ」みたいな、いわゆる航大とか自社養成とかで言われるようなことを体現している、というのだった。

 

散々Twitterでも書いたけれども、(ちなみにTwitterのアカウントは自分の楽しみでしかやっていないので、相談したいですとかフォローしたいですみたいなご要望はお断りします。そして相談されてもペーペー訓練生には何もアドバイスできないので実機飛ばして2年くらいしたらまた告知をしていきたいと思います。NZの訓練校のことで!とかでしたらコメント欄に頂ければご返答できる限りは返していきます。)

 

そもそも、この「自分のことのように他人を尊重し、情報共有をしろ」の意味ってなんぞや。って考えなくちゃいけないと思うんだ。人間関係とは大きく話が逸れるから自分の見解とかは書かないけど。で、なんやかんやあって、「それは違くね?」って思った。確かに他人の為かもしれないけど、「それってそういう形で、不特定多数にやらなきゃいけないことではなくね?」と思ったのでした。

 

それにヒントを得て、自分にも前までは「ちゃんと情報共有しろ」精神はあったんだけれども、いつの間にかその考えは姿を変えた。

 

なんというか「上手く広がる情報共有」っていうのは、win-winじゃないといけないと思うところがまず第一にある。例えば、ラーメン好きが二人いて、すごく仲が良くて、お互いラーメンを食べることが好きで、一人がすげー美味しかったラーメン屋をもうひとりに教える。そして行く。その人はすごく喜ぶだろう。逆にしらないであろうことを見据えたそいつが、最初のやつに「ここ美味かったで、行ってみそ」と伝える。.....

 

正しい「情報共有」ってのはこうあるべきだと思うんだ。

 

ただそれが、AとBと居たときに、AだけがBに一方的に言うけど、BはAには言わない。もしくはAが言ったことに耳を傾けていない。そもそもAが言ったことに価値はないかもしれない。もしくはBはただ単に人間性の問題で、口を開かないのかもしれない。AとBの仲が悪いかもしれない。同じ方向性に向かうべきAとBの間で考えていることが違う、もしくは、向かっている方向が違う。もしくは、AとBの間でモチベーションが大きく違う。

 

そんな状況もあると思うんだよね。ていうか実際にあった。

自分がお茶碗に盛られた米に箸を突き刺したことはない。だってそれがダメだと教えられてきたから。そういう感じで、情報共有神話をずーっと信じてた。ずーっとそれはできていなきゃダメだと思ったし、できていて当たり前だと思った。

 

だけど、何のギャップがあったのか、自分と同期の間では、その情報共有っていうのができていなかった。

 

まぁそれで疲れるとは残念ながらならなかった。仮に、彼がフェイルしようと、学科を落として時間がかかろうと、正直自分の問題ではないと思ったからだ。これも西洋文化と日本との大きな違いかもしれないが、西洋では個を重んじる。だから、そいつに責任があれば、そいつが取るべきだし、そいつの責任である場合に、全員が悪いなどと不条理なことは言われない。落ちたそいつが悪い。ちなみにこれは、自分が「ダメだったなぁ」と思うことの一つで、NZで救うことのできなかった人たちが何人かいた。能力不足だったかもしれない。そして、そのことを相談した教祖に「落ちたそいつが悪いんですよ、結局」って言われてね。

 

「救えないのかこのクソヤロウが!豚の糞尿に突っ込んでやろうか!」と言われるかと思ったけど、意外とさっぱりした返しで意表を突かれるとはこのことだと思った。

 

でもまぁ、学校の都合で同じようなペアにさせられて、結構な時間を同じく過ごし、同じ教官に教えてもらっている中、自分が言われたことを相手が仕出かしてしまう前に、それを伝えることによって阻止できればとは思ったし、もしそれができれば自分たちにとってwinだし、教官にとっても同じことを二回しなくて良いから、楽だし、更に空いた間で他にできることが増えるんじゃないかと思った。社会人として、訓練に励んでいて、訓練を仕事だと捉えるのであれば、それはできていて当然だし、そういうクオリティは当然持っとかなきゃとは思った。

 

んだけれども。

これが人間関係の難しいところで、他の人から意見をもらって「なるほど」とも思ったんだけど、「相性」っていうのは非常に大事で、相手にとってとっつきにくい人間も中にはいるわけで、そして最悪なことにその「とっつきにくい」人が自分かもしれない事態もあり得る。もし、同期がとんでもないポンコツだったら果たしてそんな考えを持ち続け、情報共有神話、同期大切神話をずーっと守り抜き、信じ、考えを形にしていくことにどれだけ価値があるか?と言えば、ね。推し量らずとも。

 

相手に申し訳ないし、それを書いたところでって感じなので相手がどーこーとは言わないし、相手に何かを期待することによって生まれる価値はほぼゼロだということは自分がよくよく知っている。そして変えられるのは自分だけ。なので、相手に非があったとは思いません。そこで自分がスライムのように形を変え、できることをしていく、というただそれだけがこの経験から得られたことです。

 

だから今でも自分の中で、情報共有は大切です、ディスカッションは大切です、という言葉はあるんだけれども、それは状況に応じて形を変えて然るべきものだし、ただそこにあるからします。という感じで、某Twitterの方みたく人様の会社の選考試験の内容を漏らすなんてことはもってのほかだとも思うわけです。これが「なんやかんや」の全てです。(いや、厳密にはまだ8割くらいしか述べてないけど)

 

後日談として、彼含め、私達の同期の間では不思議なことに、少しずつ情報共有の輪が広がっていって、not too much to say but だけれども、役に立つとは言わなかったが、何か響くことばあったのか知らんけど訴え続けることによって彼らの思考が2ミリくらい変わって、そういうことを自ら発信するようになったのです。この粘り強さってのは自分にある強みかもしれんな。

 

それでテストに受かるとか、フライトテストを楽にするとか、そんなことはまずないんだけれども、まぁ。お互いがwin-winになれるのであれば、もっとコツとかテクニックとか技術、方法論なんかを議論していくのはパイロット的には大きな収穫になるし、そこでモヤモヤして人に話をぶつけること自体に意味がある。大きな。

 

そういう体験ができてて、身に染みていれば、JAL123便でhydrolic failしたあの事故を参考にしたパイロットが無事生還できるなんてこともあるかもしれない。それはパイロット自身にとって、大きな付加価値になりうるなぁと思うのです。まぁ墜落するかもしれない飛行機を生還させることだけに執着せずとも、例えば日々のフライトの小さなことで大きな変化を生み出せるようなチャンスがあるなら、そういうことを考えて、人から得て、improveさせていったら良いと思うのです。

NZの学校では、人間関係にめっちゃ難儀したとは思わなかったけれども、苦労したというか、欲しかった形とは違った人間関係が存在したときに、どう対応したら良いか。っていうのを考える大きなきっかけにはなったかもしれません。

 

 

ひとまず終わり。