空をとびたいP訓練生のブログ

現在ニュージーランドでパイロットの訓練をする若者のブログ

面倒臭い人間関係

人間が感じるストレスの三大要因について。

 人間は「これさえなければ!」なんだっけ。ストレスフリーになるだか寿命が10年伸びるだかなんだか言われるくらいデカイ人生を動かす3要素があると。

 

1. 金

2. 健康

3. 人間関係

 

人に聞いた話なのでアテにしないでください。

最近、Twitterでも周りでも「いやぁ、人間関係がさぁ...」って頻繁に聞くくらい人間関係が面倒臭かったり、イライラしたり、それでストレスフルな生活に一変したり、やはり人間関係っていうのは人生でトラブルのトリガーになる要素なんだなというのを痛感するわけであります。

 

何度かもしかするとこのブログでも触れているかもしれないのですが、私は個人的に思っていることがあってて、「どの職場、どの環境でも(最低でも)合わないレベルの人間は存在する」ということです。もう不変の真理なんでしょうね。私はかれこれ職場を3つ移動していますが、どの職場にも要注意人物がいます。

(最低でも、っていうのは、最低合わない程度のやつがいて、もっとひどくなると人間として軽蔑し始めます。もうちょっとひどくなると顔を見ただけで心拍数が高くなります。)

 

人間ていうのは、団体の中にいれば、そういう人物を作ってしまう傾向にあるのか、それとも単に遺伝子とか生物学的な要素で、このくらいの割合で合わない人物が存在するのか、それとも何の関連性もなくただの偶然なのか。

 

いずれにしても「合わねえなコイツ」って思う人はどこにいってもいつでも居ました。何がどうだめかというと、まぁそれもすごく様々です。仕事のやり方とか方向性が全然違って到底受け入れられないとかいうのもあったし、ただ単に人として差別的な言葉を浴びせ続ける人もいたし、仕事の指示に関して統一性や具体性がまったくなくてその内容について聞くとヒステリックになったりしてブチギレる人...。

 

その度に思うんですけどね。「あ、また居たよこういう奴。どこに行ってもいるよなマジで。姿形が違うだけで中身は一緒なのが分裂してどこからか湧き出てるんじゃね?」と。言ってみればマトリックスのエージェントスミス的な。(まぁあれは見た目一緒ですけど)

 

共通点で言えば、結構我が強くて、(わたしも強い方ですが)、色んな社員の中では長く勤務経験があって、色んな経験をしている、で仕事(まぁ学業も?)において自分のやり方があるような。

 

じゃあなんで「合わないのかな」って思うと、合わない、つまり何かが違うからなんだと。仕事に関する考え方、やり方に対する考え方、そもそもの価値観の違い、等。(そもそもそういう次元じゃないお話にならないタイプの人もいますけど)

 

ある時、ある職場で私はお金に代えがたいとても良い教えを先輩社員から貰いました。その先輩社員は、私と対立する上司とのやり取りと上司が私に接する態度の悪さ、悪態と仕打ちを見ていて、「権利を侵害するような対応をされるときは外部(部署を超えて仲裁に入れるようなところ)に依頼せよ」ということと、「基本的に他力本願で行くな。他人は変わらない。自分が変われ。」ということを学びました。

 

私は接客の部門だったので、それを管理している「営業部」というところのマネージャーに結局は仲裁してもらい、事なきを得ました。事なきを得たというか、もともとの自分の事情でタイミング良く部署が変わることになっていたので、その暴力はなかったものの、暴力的態度だった上司からは遠ざかりました。本当に理不尽だなと思うこと、他の人や部署の仲裁が必要だと思うこと、法や倫理に反することがあれば、こういうのは人間関係を超えて、然るべき所に対応を依頼するのが健全なのだとその時に学びました。

 

もう一つの「他力本願」は、いくらその人がクソだとしても、反社会的でも、倫理に反していたとしても、コンプライアンス違反だったとしても、長年そういう姿勢で生きてきているのだから今もそういう姿なのであって、今更全否定をした上で「お前が違う。変われ。」と言うのはナンセンスだと。「ちょっとくらいお前の態度変えたら?」という優しい言葉をかけてくれる友人なんかは良いかもしれませんが、馬が合わない、ソリが合わない、仕事のやり方、価値観、考え方、なにかも合わない人間にいちいちイライラして噛み付いてオカシイだのなんだの言ったところで、前に述べたように変わらないんです。だから、「変わってくれるかも」とか、「自分を通していればそのうち状況は変わる」とかいうのも、場合によっては通じるかもしれませんが、大抵の場合通じません。

 

それで彼らが生きてこられたのは、周りが甘いのか環境が良くないのか指摘してくれる人に恵まれなかったのか、何なのかはわかりませんが、少なくともそういうクズみたいな人(別の仕事をしている時のカスタマーは稀にそんなモンスターみたいな理屈の通らない人間もいました。人間の皮を被った化物なのじゃないかと思いました。)もいれば、単に仕事をしていてイライラする相手というのは存在します。がしかし、最初は受け入れられないし、イライラもするし、なんで相手がオカシイのに自分が変わらなきゃ。とひねくれたくなる気持ちを抑えて、そういう相手のことを見下しながら対応を柔軟にしていくことが、この世の中で生きていく (特に日本では) 上では楽なのかもしれません。

 

自分が疲れたときにTwitterで読んだ「よい生き方」のtipsの1つとして、ある人は「明日でも良いことを今するな。無駄なことをするな。やらなくても良いことをするな。生きていくのに必要最低限で生きろ」みたいな教訓がありました。

私は有名なドラマで「明日やろう!は馬鹿野郎」という名台詞があるらしく、物事を先延ばしにするなんてアホだということだったので今までそれを胸に刻みながら生きてきただけに、逆に斬新でした。

 

この「必要最低限で生きろ」って、私としてはなかなかに興味深くて、怠惰な状態で時間を過ごせという意味合いとは少し違うと思っていて、自分がなにか持っている目標とかゴールとか、達成目標的ななにかをまず頭上に掲げた時に、それに沿って生きたい。例えば、、東大合格とか。その上で、東大合格のために不必要な、例えばランニングとか。毎日の自炊とか。掃除とか。(わからないですけど。)を省いたところで、明日やったからといって、今日焦って疲れてやらずとも、別にゴールとは何の関係もないわけで、そこに懸命になる意味って無いんですよね。だから無駄なエネルギーを使わず、適当に過ごせば良いんだなと思ったんです。ゴールさえしっかりしていればね。だから、「必要最低限」でいいんだ、ふ〜ん。と思いました。

 

自分は何もかも on timeでキチンとやっていて、見本みたいに生きるのがかっこいいのかなとひとり暮らしをしている時は掃除洗濯やら食事をキッチリこなしていたのですが、ある時、朝からやっているとお昼過ぎくらいに突然無気力になったわけです。家事の具合は8割くらいデキてたんですけど、残り2割あるのに突然無気力で、何もできなくなってヨガマットの上で疲れてる自分に気づいてしまいました。その時悟りました。「やりすぎた」と。だから自分の人生に無関係なこと、別に今じゃなくていいことを焦って何もかもがむしゃらにやったからと言ってその先何が変わるわけじゃないのかなと。

 

きっと今人間関係で疲れている方の中には、どうしても離れられない家族だったり、両親だったり、子供だったりという関係の中で疲れている方もいらっしゃるでしょうが、職場とか学校で疲れている方はすごく真面目で、真剣に物事に向き合っていることと思われますが、部屋の隅っこのホコリ取りに真剣になろうが、適当にやろうがその結果もそこから発生するメリットってのも恐らくそんなに変化がないので、そんなに真剣にがむしゃらに懸命に価値のない人と向き合うことってないと思うんですね。

 

先程も書いた通り、どうせ相手は変わりません。クソだな、クズだな、と思っても。価値がないなと思っても。変わればこの人素敵なのに。って思っても変わりません。

 

だから是非、適当にやってみてください。適当に力を抜いて、無駄なことをせず、イライラせずやってみてください。イライラすること。相手になにかを伝えようとすること、そして「期待すること」でさえも膨大なエネルギーを使います。私は人には期待はしません。

 

「どうしたら自分は疲れなくて良いかな?」と思う発想も結構人生には役に立つことなのではないかと私は考えました。どなたかのお役に立てば幸いです。

 

おわり。